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トップページ気象予報士合格体験記(25周年特別復刻版)
   
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2025年3月22日、わぴちゃんが気象予報士になってから
25周年の記念日を迎えることができました。

その記念事業の一環として、
当ホームページ開設初期の頃にアップしていた
「予報士合格体験記」を再公開いたします。

この予報士合格体験記は、わぴちゃんが
気象予報士試験に合格するまでの道のりを記したもので、
2003年6月ごろに執筆したものです。

原則として、当時の原文をそのまま活かしつつ、
多少の修正を加えた上で公開します。
ちょっと長いですがぜひ読んでいただけるとうれしいです。

←その4へ
気づいたら、わぴちゃんは保健室にいました。

首が痛い…首が動かない…耳が痛い…

先生方が心配して、わぴちゃんに
「だいじょうぶ?一生懸命がんばりすぎたね。」
って、やさしく声をかけてくれます。

 養護の先生は、「病院搬送した方が良い」と判断したようで、わぴちゃんは、何人かの先生に連れられながらとりあえず近くの整形外科医のところに車で運ばれました。

 レントゲンをとって、お医者さんは一言。

 「ちょっとよろしくないですね。大きな病院で見てもらったほうがいいです。」

話によると、首の骨の形が変わっていると言うのです。とりあえず、コルセットをはめて、後日大学病院に行くことが決まりました。2日後、学校から連絡があり、受け入れ先の病院が決定した!とのことです。わぴちゃんは、電車で3時間かけてそこの病院に行きました。レントゲンやMRIやCTなど、検査がこれでもかってほど繰り返されました。

 そして、診断結果…

 「第5頚椎錐体骨折」それから、靭帯損傷など、合計3つの病名がつけられました。そして、万一、骨折した部分が動いて神経を圧迫すれば、植物人間になるかもしれない!という宣告を受けました。がーーーん。

そのあと、厳重な固定が必要なので、コルセットがはめられ、一切の運動が禁止されました。走るのもだめ。早歩きもだめ。ということです。

それからは、コルセットをつけた状態で、気象予報士試験受験勉強をしました。首が動かないのでとても不便です。勉強しづらいのです。でも、今度こそは…という熱意の方が強かったと思います。24時間テレビの障がいを乗り越えてやり遂げたあのシーンが何度も浮かんできます。

「わぴちゃんも、やり遂げるぞ!」

そういう一心で勉強をしました。

幸い心配された後遺症もなく、お医者さんから「気象予報士試験、受けてもいい」という許可が出ました。

第13回気象予報士試験はコルセットをはめたまま、かばんには、あらゆる気象の文献を詰め込んで、朝早く、いさんで電車に乗り込みました。

かばんが重たいです。あとで重さをはかったら16kgありました。

そして、試験。首が動かなくて書きづらい…

でも、実力を出し切りました。解答欄には全部、答えを書き込みました。あとは、3月の結果を待つのみです。

合格発表当日。わぴちゃんは、気象庁まで結果を見に行きました。まだ、コルセットをつけたままで、首は動きません。運動制限も解除されませんが、ゆっくりと、気象庁に向かいました。はやる気持ちで階段とか、走りたくなりましたが、運動制限がかかっているため、ゆっくりゆっくり行きました。

ちょっと早めに気象庁につきました。関係者が合格者掲示の準備しています。わぴちゃんは、落ち着きません。胸がドキドキいっています。

そして、掲示板を覗きました…

・・・・・・・
・・・・・・・
名前、あったぁ!!!!

喜びのあまり、飛び跳ねました。わぴちゃんは、やり遂げたのです。
今までのパニック発作の症状ではなく、うれしくて、胸がドキドキいってます!
飛び跳ねたときに、ポケットの中身が全部周辺に飛び散ってしまいました。

それを見た係の人が、
 「あららら・・だいじょうぶ? 合格おめでとう!」
そう言って、飛び散った財布とかいろいろ、拾ってくれました。

「そして、記念に写真撮りましょうか?」と言って、
写真を撮ってくれたのです。わぴちゃんの夢がかなった瞬間。
今でも、あの飛び跳ねた瞬間は忘れられません。


【おわり】
 2025年8月31日最終更新

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