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2025年3月22日、わぴちゃんが気象予報士になってから
25周年の記念日を迎えることができました。
その記念事業の一環として、
当ホームページ開設初期の頃にアップしていた
「予報士合格体験記」を再公開いたします。
この予報士合格体験記は、わぴちゃんが
気象予報士試験に合格するまでの道のりを記したもので、
2003年6月ごろに執筆したものです。
原則として、当時の原文をそのまま活かしつつ、
多少の修正を加えた上で公開します。
ちょっと長いですがぜひ読んでいただけるとうれしいです。
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高校2年生に進級してから、学校生活のほうに少しずつ変化がおきはじめました。いわゆる「いい子」だったわぴちゃんは、ちょっとした「いじめ」や「からかい」のターゲットのされがちで、そこに持病のパニック障害から来る不安も加わって、学校に行くのがだんだんツラくなっていったのです。
でも、わぴちゃんには8月の気象予報士試験が待ち構えています。「明日学校行きたくないなぁ…」っていう気持ちと、そこから来るパニック発作の症状を気合いで振り切って、気象予報士試験受験勉強をしました。
8月の試験では、学科試験がすべて免除になるため、実技試験だけの受験となります。通信講座の実技添削を解いたり、過去問をくり返し精読しながら学習をすすめていきました。 しかし、学校生活の状況はさらに悪化…。だんだん休みがちになり、体調が悪くて机に迎えない日も増えていきました。
「つらいよぅ…つらいよぅ…」
心も体も悲鳴をあげていました。しかし、周りに心配かけたくなかったので、何事もないように、誰にも言わず、平静を装って、そんな状態で第12回気象予報士試験を迎えました。
相変わらず、先生方や周りの期待は大きかったです。夏休み前に激励の言葉をあちこちからいただきました。結果は…全力を出し切ったと思います。後に送られてきた模範解答を見ても、まぁまぁなできだと思いました。あとは、合格発表を待つのみ!っていう感じでした。
そんなある日、ふとテレビをつけたら「クレヨンしんちゃん」がやっていました。子ども向け番組大好きなわぴちゃんはそれに食い入るように見ていました。そこで、心を打たれる銘文に出会ったのです。ある幼稚園の園長先生が、悩んでいる幼稚園教諭にそっと一言。
「自分のこころにウソをつく人は私の園には、いりません。自分のこころに素直になってごらんなさい。」
この言葉で、わぴちゃんの心に電気が走りました。心と体が悲鳴をあげているのに、それにウソをついて…つらくてつらくてしかたがないのに、それにウソをついて周りには平静を装っていた自分。
この言葉を聞いた途端、わぴちゃんの中で張り詰めていたものがぱっと切れて涙が止まらなくなりました。布団に入っても一晩中激しく泣き続けました。翌日は学校に行ったものの、涙が止まらなくなり、授業に出られず廊下で気持ちを落ち着けていました。
放課後になると、少し気分は落ち着き、わぴちゃんの心にはある決心が芽生えていました。
「今のツラい気持ちを素直に先生に話そう!」
翌日、先生に話しました。しかし「この程度のことで負けてはダメだ」的な感じで、事態は変わらず。かえって気持ちがツラくなってしまいました。しかしその一方で、「つらかったね。先生は君の見方だからいつでもおいで。」と、やさしく声をかけてくれる先生もいたのが救いでした。
結局わぴちゃんは限界になり、不登校を始めました。不登校をはじめて最初の頃は、とにかく体調が悪く、起きているのが手一杯でした。しかし勉強したい気持ちも強かったため、転校も考えました。そこで選んだのが東京にある「通信制高校」です。ちょうど、転入生受け入れ時期で、両親も承認のもと、転校手続きを行いました。
そのころ、第12回気象予報士試験の合格発表がありました。結果は、不合格でした。自信があったのに…。なんで??
また、悩む日々が続きました。「もう無理だからやめる!」と親に相談したところ、返ったきたのは「とにかくもう1回だけ受験しなさい。それでダメならやめていいから。」という答えでした。
今度は通信制の高校だから時間もたっぷりあるし、もう一回だけやってみよう。ここまでがんばったんだし、もう一回だけ。それでだめならもうやめよう!
そう思えるようになるまで、1週間はかかりました。
さて転校先の通信制高校ですが、ここでは先生方がすごく温かく接してくれるのです。
「え!? 人ってこんなにやさしいの?」
はじめて、人の温かみを知りました。
通信制高校とはいえ2週間に1回、スクーリングと言って登校日のようなものがあります。わぴちゃんは、スクーリングでは保健室登校状態でした。授業の時だけ出て、他の時間は保健室で休んでいました。
ここの養護の先生もすごくやさしいのです。わぴちゃんの気持ちを一生懸命聞いてくれるのです。そして…
「つらかったら、無理しないでいつでも来ていいんだよ」
って、授業前に一言いってくれるんです。
「つらくても、無理しなくていいんだぁ。」
そう考えると、精神的にとても余裕ができて、授業中からだが苦しくなくなることもなくなっていきました。
心にゆとりができて、わぴちゃんの顔から自然に笑顔がこぼれてくるようになりました。昔みたいにぎすぎすした物の見方ではなく、人を許せる心もできていきました。
自然と、気象予報士試験の勉強にもゆとりをもって取り組めるようになりました。全てが順調に行き始めた矢先、神様は、もうひとつわぴちゃんに試練を与えました。
Xデーは12月8日の通信制高校のスクーリングの日です。この日の5時間目に体育がありました。屋内でミニサッカーゲームをやっていました。わぴちゃんは、楽しくて夢中になっていました。その時、
ばしーーーーーーーーーーーーーん!!!
と大きな音がして、それ以降数分間、わぴちゃんの記憶がありません。あとで聞いた話ですが、ボールを追いかけているうちに全速力で脇の鉄柱に衝突したらしいのです。 |
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2025年8月31日最終更新 |
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