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2025年3月22日、わぴちゃんが気象予報士になってから
25周年の記念日を迎えることができました。
その記念事業の一環として、
当ホームページ開設初期の頃にアップしていた
「予報士合格体験記」を再公開いたします。
この予報士合格体験記は、わぴちゃんが
気象予報士試験に合格するまでの道のりを記したもので、
2003年6月ごろに執筆したものです。
原則として、当時の原文をそのまま活かしつつ、
多少の修正を加えた上で公開します。
ちょっと長いですがぜひ読んでいただけるとうれしいです。
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不安と緊張でいっぱいでした。今まで勉強に使った参考書・文献・問題集を全てかばんに詰め込んで、半端じゃない重さに耐えながら、朝早く、電車に乗って会場へ向かいました。しかし、電車に乗ることに対する緊張はありませんでした。試験前に何度も重ねた訓練によって恐怖を克服したようです。
しかし、試験場につくと、不安と緊張が強くなってパニック発作が襲ってきました。それでも、自己暗示をかけて自分を一生懸命落ち着けました。
定刻になり、学科試験の「予報業務に関する一般知識」が行われました。 不安や焦りからか・・・最初に目を通したとき計算問題は、
「あれ、できない・・・どうしよう。。。」
と、半パニック状態になってしまいました。初めての学科試験は「もうだめ…」って感じでした。それでもひととおり解いてみると意外に早く終わってしまい、見直す時間がたくさんありました。そこで、気持ちを落ち着けて改めて問題を見てみると…
「あ!なーんだぁ…」
って、解ける問題が結構ありました。結局、学科試験で自信のない問題が15問中5問だけになりました。
そして、学科2つ目、「予報業務に関する専門知識」が休むまもなく始まりました。この頃には気分が少し落ち着き、冷静に問題に向かい合うことができました。やはり早く終わってしまい、見直す時間がたくさんありました。何度も何度も慎重に見直して、自信のない問題を15問中3問にまで抑えました。
午前中の試験が終了です。まだ実技試験が控えているというのにもう疲れ切ってしまいました。緊張で朝から何も食べてないし、食欲が出ません。なので、ぶらぶら会場内を散歩したり、問題集を読みあさったりしました。そうこうしているうちに時間がやってきました。
実技試験1の問題用紙が配られました。
「ずいぶん分厚いなぁ・・・」
軽い不安がよぎります。開始の合図とともに問題用紙を広げました。試験官の説明がありましたが、詳しい問題用紙の取り扱い方はわかりません。周りの受験者が天気図をミシン目からはがす音が場内に響き渡ったので、わぴちゃんも真似をしました。そして、問題を冷静に解きます。
「今まで練習してきた問題とだいたい同じだ…」
記述問題は比較的すらすらできました。しかし、今回の実技には計算問題があったのです。とりあえず計算をして答えを出しておきましたが、見直すたびに答えがちがってくるのです。高校1年生のわぴちゃんに、偏微分が襲ってきます。
「はぅ。。。計算はもうあきらめよう。」
開き直って残ったところだけ見直しました。
実技1の試験が終了しました。しかし、休むまもなく実技2が待っています。しかも、実技2はさらにレベルアップした問題だったのです。記述問題も、全般的に不安が残る解答となってしまい、初めての気象予報士試験受験が幕を閉じました。
外は大雨でした。帰り着く頃には足が冷えてじんじん痛かったです。結果発表は約1ヵ月後、天命を尽くしたのだから後は神様に任せるのみ、です。
夏休み明けて学校へ行くと、先生方から予報士試験についていろいろ聞きだされました。合格すれば最年少記録更新なので、皆さん期待している模様です。
合格発表の日、わぴちゃんは、学校が終わるまで落ち着きませんでした。そして、帰るや否や、郵便物を見てみると、結果通知が来ています。それを持って、部屋に駆け込み、そーーっと開けてみたのです。
「残念ながら不合格でした。なお、学科の結果は次のようになっています。
(一般知識)不合格 (専門知識)合格」
「勉強が足りなかったのかな…でも、学科の専門知識が合格できたから、まあいっか、次があるし…」と、割り切れたらよかったのですが、結構落ち込みました。
でも、落ち込んでいられないと思い、次の試験に向けての勉強計画を立てて、自信がなかったところを中心に勉強を再開しました。
翌日学校へ行くと、大勢の先生方に結果を聞かれました。「結果通知書」を見せたところ、
「そっか…ザンネン、次は絶対がんばれよ!」
って励ましてくれました。
次の試験は1月です。それに向けて、一般知識と実技試験を中心に勉強をしました。一度やった内容を何度も何度も繰り返して、大事なところを覚えていきました。そうすると、結構もれていたところが出てくるのです。数式も理解していたつもりでも、実際に計算してみるときちんとした結果を導け出せなかったりもしました。
「勉強不足だったんだな…今度は気をつけなきゃ」
と思いながら、1日3時間くらいの割合で勉強しました。
定期テストが近づくと、勉強量はものすごくなります。休日もずっと机に向かっていた日さえもありました。ひとつのことにこんなに打ち込む自分。今思うと、ホントにすごいです。青春って感じです。
そうこうしているうちに12月になり、クリスマスだ、なんだで世間は盛り上がっていますが、気象予報士試験も近づいております。でも、たまにはいいかなーってクリスマスソングを聞いたりして気を休めたりもしました。
そして、お正月の帰省です。かばんには、気象関係の文献を全部詰め込みました。帰省先ではなかなか勉強ができないってわかっていても、持っていかないと不安だったのです。わぴちゃんの周りには、気象学に詳しい人がいないため、わからないことを聞くことができません。すべて、独学で理解しなければなりません。それは、帰省しても同じでした。親戚にも、気象学に詳しい人はいないのです。なのになぜわぴちゃんはこんなにも気象好きなのか、不思議です(笑)
お正月が近いということで、帰省先では結構遊びました。でも、朝誰よりも早く起きて、コタツとテレビを陣取って、石油ストーブを引っ張ってきて、1時間くらいは文献を読む時間をとりました。
気仙沼から帰ってくると、気象予報士試験まで1ヶ月をきることになります。
最後の追い込みで、実技試験を中心に勉強していきました。学科や実技の演習問題を本番さながらにやってみたりもしました。でも、自分で採点すると、どうも、実技の点数がよくなってしまいます。自分に甘える心がまだあったようです。それに、普段の練習のときも、実技試験を自己採点すると、全部丸をつけてしまいます。
試験を前にして、またまた自己満足が横行しています。2回目の受験、どうなるでしょうか?
試験当日、1月ということもあってとても寒かったです。幸い南岸低気圧による大雪はなく、無事試験が行われました。1回目受験のときに学科試験の専門知識が免除となっていたため、はじめに学科試験の一般知識が終わると、1時間以上の空き時間ができてしまいます。これがまた、針のむしろです。午後の実技試験に向けて本を読むのが普通なのでしょうが、わぴちゃんは、その辺をうろうろして時間をつぶしました。わぴちゃんは、試験前に追い込むように勉強するのは精神的に好きではないためです。
でも、実は、気象予報士試験のとき、持っている気象関係の文献をすべてかばんに詰めて来ていました。重たい思いで東京に出てきましたが、これはあくまでもお守りに過ぎなかったのでしょうね。精神的に弱いわぴちゃんにとって、こういう「お守り」は、とても強い味方なのです。
さて、午後の実技試験のときですが、試験友だちができたのです。わぴちゃんの隣に座っていた方です。その友だちは新潟からわざわざ試験のために東京に出てきていたそうで、10回近く試験を受けているらしいのです。すごい熱意が感じられました。わぴちゃんだったら、それだけの回数受ける根性はないと思います。この方とは不思議な縁でつながっているようで、今でも、気象予報士会(※現在は日本気象予報士会)でごいっしょしたりしています。生涯の友として、大切にしていきたいですね。
話は逸れましたが、午後の実技試験。致命的なミスをおかしてしまったのです。天気図の誤りを修正する問題で、わぴちゃんは、「寒冷前線」を指摘したのですが、模範解答では「温暖前線」となっております。たいしたミスではないかとおもいますが、実は、この天気図の誤りの指摘の問題は、「間違いの箇所の指摘」「天気図の間違いを修正」「間違いとみなした根拠」の3つにまたがっており、配点が高かったのです。指摘する箇所1つ間違えたためにその部分すべてがパーになってしまいました。
自業自得とはいえ、模範解答を見てからすごく落ち込んでしまいました。
学科の一般知識は自己採点で15問中13問正解で、なんとか引っかかってくれた感じでした。3月に送られてきた試験結果は、自己採点の通りで、学科試験の一般知識が合格。実技試験が不合格でした。8月にリベンジです。 |
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2025年8月31日最終更新 |
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